ICRPは、短時間に多くの放射線を受けた広島・長崎の原爆被爆者等に対する健康影響の研究結果に基づき、放射線の影響から人体を守る(放射線防護という)立場から勧告をしています。勧告では、「放射線の人体に与える影響は被ばくした放射線量に比例した一定の割合で低線量・低線量率でも現れる」という仮定を基に、線量限度を定めています。しかし、低線量・低線量率の放射線を長期にわたり受けたことによる人体への影響は、科学的に十分には確認されていません。
放射線疫学調査(以下「本調査」という)は、原子力発電施設等で放射線業務に従事した人および従事している人を対象としており、低線量・低線量率の放射線が人体に与える健康影響についての科学的知見を得ることを目的としています。
放射線が人体へ与える影響には、「しきい値」といわれるある一定の量以上の放射線を受けた場合に、被ばく線量に応じて現れる皮膚障害や不妊のような「確定的影響」と、被ばく線量に比例した一定の割合で現れるがんや遺伝的影響のような「確率的影響」とがあります。これらの影響のうち、本調査では主に放射線によるがん死亡への影響について調べています。
国は、原子力発電施設等で放射線業務に従事する者を対象に低線量域の放射線被ばくが人の健康、特にがんによる死亡にどのような影響を及ぼすかを明らかにしようとする疫学調査を、(公財)放射線影響協会に委託して、平成2年11月から開始しました。
当初は科学技術庁が本調査を所管していましたが、平成13年4月、省庁再編により文部科学省へ平成13年4月に移行しました。また、原子力規制委員会の発足に伴い、平成25年4月から原子力規制委員会原子力規制庁に本調査の所管が移管されています。
これまで(公財)放射線影響協会ではほぼ5年毎に調査の結果を取りまとめてきました。現在、平成27年3月に国へ提出した調査報告書「原子力発電施設等放射線業務従事者等に係る疫学的調査」(第V期 平成22年度~平成26年度)が最も新しい結果です。今回の第V期調査結果は、前回第IV期の平成21年度までの調査実績に、その後の平成22年度から平成26年度までの調査実績を加えて集約したものです。
この第V期調査結果報告書の全文(PDF)はこちらでご覧いただけます。
本調査は、調査対象者の生死を追跡して生死と死因を把握し、これと被ばく線量との関係を統計学的に解析することによって行います。
調査対象者は、国内の原子力発電施設等で放射線業務に従事する者として(公財)放射線影響協会放射線従事者中央登録センターに登録された者のうち現に放射線業務に従事しているか、または従事していた者のうち、一定要件に該当する者です。
調査対象者の生死は、放射線従事者中央登録センターから調査対象者の登録番号、氏名、性別、生年月日等の個人識別情報を入手し、次いでこれらの者について原子力事業者等の協力を得て住所を調査し、当該住所地の市区町村長から住民票(除票を含む)の写しを取得することによって把握します。
次に、死亡が確認された者について、厚生労働省の人口動態調査死亡票と照合することにより、死因を同定します。
また、調査対象者の被ばく線量の累計(累積線量)は、放射線従事者中央登録センターに登録されている線量記録の提供を受けて計算します。
収集した死因、被ばく線量情報等は、統計学的に整理し、解析します。
統計解析では、解析する対象集団について、死因別に死亡率を一般の日本人男性と比較するとともに、累積線量の多少と死因別の死亡率との関連の有無の解析を行います。
疫学研究では、統計学的に有意な結果が得られた場合にも、それが必ずしも因果関係を検証したことにはならないことに注意する必要があります。
そのため、統計解析の結果について、(1)調査対象者に偏りがないか、(2)交絡因子の影響は取り除かれているか、(3)これまでの同様の疫学研究結果と整合性はあるか、(4)医学・生物学における既存の知識と矛盾しないものであるか等の視点から考察し、評価を行います。
原子力発電施設等放射線業務従事者等を対象とした本調査では統計解析、評価にあたって、外部の放射線疫学、疫学統計学の専門家、学識経験者等で構成する調査研究評価委員会を設置し、専門的、客観的な立場からの検討を加えています。
低線量域放射線による健康影響に関する疫学的調査は、原子力発電施設等放射線業務従事者及び元従事者の204,103万人を対象としています。第Ⅴ期調査報告は、1990年度(平成2年度)から2014年度(平成26年度)までの生死追跡情報、死因情報及び被ばく線量情報に基づいて、死因別死亡率と被ばく線量との関連を統計学的に解析し放射線疫学調査の結果を取りまとめています。
低線量域放射線被ばくの健康影響を解明する上においては、放射線以外の交絡因子の影響を適切に取り除くこと(調整)が必要であります。第Ⅴ期調査報告は、生活習慣等を把握している業務従事者を対象にして、交絡の影響を調整した初めての検討を行い、喫煙等が交絡因子として大きな効果を持っていることを数量的に確認しました。このことを確認した上で、低線量域放射線の健康影響について調査の取りまとめを行っています。
(1)調査目的
1990年度(平成2年度)から実施している原子力発電施設等の放射線業務従事者(退職者等を含む)を対象とした疫学的調査(以下、本疫学調査)は低線量域放射線の慢性被ばくによる健康影響について科学的知見を得ることを目的としています。
これまでの調査結果は、調査対象者本人の生活習慣等が放射線と死亡率との関連に影響を及ぼしている可能性を示唆しているため、今回、初めて生活習慣等の影響を除外して検討を行いました。
第Ⅴ期調査報告書は、2014年度(平成26年度)までの調査を取りまとめました。さらに、今後の本疫学調査を推進するための課題および対策についても報告しています。
(2)調査方法
放射線従事者中央登録センター(以下、中央登録センター)に1999年(平成11年)3月末までに放射線業務従事者として登録された日本人男性で、生死を追跡できた者204,103人(このうち、生活習慣調査回答者は75,442人)を対象に2010年(平成22年)12月末まで図1に示す方法で調査しました。
なお、調査対象者となることに同意いただけない場合には申し出ていただくこととしています。
(3)調査結果
対象集団の観察終了時における一人あたりの平均年齢は55.6歳、平均累積線量は約13.8mSv、平均観察期間は14.2年でした。死亡者は全体で20,519人であり、このうち白血病による死亡者は209人、全悪性新生物(白血病除く)による死亡者は7,929人でした。
(4)分析・考察
約20.4万人の従事者集団全体において確認された肺がんと累積線量との関連も、生活習慣調査における喫煙の影響を除外することで全悪性新生物(白血病を除く)の放射線リスクが低下したこと、生活習慣調査では累積線量と喫煙割合に関連が見られていること、また、喫煙は肺がんの重要な危険因子であることを考慮すると、喫煙による交絡が影響を及ぼしていると考えられます。
また、肝臓がんについては、慢性肝疾患および肝硬変の死亡率と累積線量との関連が疑われること、肝炎ウイルスはこれらの疾患の重要な危険因子であることから、肝炎ウイルスの感染による交絡の有無が本調査に影響を及ぼすのか、確認する必要があります。
(5)第V期調査の結論
本報告では、生活習慣調査回答者75,442人を含む日本人男性の放射線業務従事者204,103人について調査しました。
一部の疾患においてみられた死亡率と累積線量との関連は、喫煙などの放射線以外の要因による交絡の影響を含む可能性が高いことを示唆する結果が得られた現状では、低線量域の放射線が悪性新生物の死亡率に影響を及ぼしていると結論付けることはできません。
(6)今後の課題とその対策
第Ⅴ期調査では、喫煙等の交絡因子の関与の重要性を明らかにできたと考えられますが、第Ⅴ期調査の結果は概して第Ⅳ期調査と同様な傾向を示している。今後の新たな展開を図る上での課題とその対策は次のように考えます。